2011년 4월 24일 일요일

アリラン物語 (아리랑 이야기 / 연재기획)

Honolulu Times

アリラン物語(아리랑 이야기 / 연재기획)-
民謡「アリラン」(민요 아리랑) 朝鮮半島を代表する民謡。高麗時代末に江原道(カンウォンド 강원도)旌善(チョンソン 정선)で歌われたのが発端とされ、各地で固有の調べや歌詞が生まれた。羅雲奎(ナ・ウンギュ 나운규)の映画「アリラン」(영화 아리랑)で主題歌として使われたものが今日、最も一般的で、他のアリランと区分するために「本調アリラン」と呼ばれることがある。ほかに有名なものとして「密陽(ミリャン)アリラン」(밀양 아리랑)や「珍島(チンド)アリラン」(진도 아리랑)など。
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アリラン物語過去の連載
<1회>
第1回封切に押し寄せた群衆 今も最高峰の民族映画
映画「アリラン」(영화 아리랑)のワンシーン(中央で正面を向くのが羅雲奎 나운규)(韓国仁荷大の趙熙文教授提供)

全盛期のころの羅雲奎 나운규(韓国仁荷大の趙熙文教授提供)
監督、主演、脚本はいずれも、後に「韓国映画界の父」と呼ばれた羅雲奎(ナ・ウンギュ 나운규)(1902~1937)。
 「アリラン」あらすじ 都会から離れた小さな農村に暮らす主人公崔永鎭(チェ・ヨンジン)は、哲学を勉強していて精神に変調を来した。崔は豊作を祝う祭りの日、大地主の使用人で、日本人と手を組んで村人を苦しめる男呉基浩(オ・ギホ)が妹の永姫(ヨンヒ)を襲おうとしているところを見て、呉を鎌で殺してしまった。殺害の瞬間、崔は正気に戻るが、殺人犯として日本人巡査に逮捕、連行され、村を去る。

1926年10月1日、日本の植民地だった朝鮮の京城(現ソウル)。朝鮮総督府の新庁舎完成を祝う式典が行われたこの日、中心部の映画館「団成社」に人々が押し寄せた。騎馬警官が急きょ出動、声をからして群衆を必死に誘導しようとするが、人々はわれ先にと入り口に殺到、門や窓が壊された。今も朝鮮半島で「民族映画の最高峰」とたたえられる記念碑的な映画「アリラン」の封切りはこうして始まった。
監督、主演、脚本はいずれも、後に「韓国映画界の父」と呼ばれた羅雲奎(ナ・ウンギュ)(02~37)。
舞台は朝鮮の小さな農村。精神に変調を来した若い男を主人公にした、この無声映画は京城での封切り以降、朝鮮全土で数年間にわたって巡回上映され、空前の興行成績を記録した。当時の日本でも、炭坑で働く朝鮮人労働者の士気高揚策などとして上映されたという。
主人公が日本人巡査に連行され、峠を越えていくラストシーンに流れる主題歌は峠の名と同じ「アリラン」。この後、爆発的に広まり、朝鮮民族を代表する民謡として日本でも知られるようになった。映画はその後、数回にわたってリメーク版が制作された。
封切り前日、映画の宣伝ビラ1万枚が「不穏な内容がある」として警察に押収されたことが口コミで広まり、かえって人々の関心を呼んだという。
 この映画が当時の朝鮮の人々を熱狂させたのはなぜか。「農村の苦しみを通じ、当時の朝鮮社会の苦しみを浮き上がらせた抗日映画だったからだ」と韓国の映画評論家金鍾元(キム・ジョンウォン) (73)。
検閲もあり、明示的な抗日要素は盛り込まれなかったが、国を奪われた朝鮮の人々が見れば、そこに暗示された日本への抵抗の精神が読み取れるのだという。
羅雲奎と同じ咸鏡北道(ハムギョンプクト)会寧(フェリョン)(現在の北朝鮮)出身で、羅の評伝を著したソウル大名誉教授李杜鉉(イ・ドゥヒョン)(86)も「羅雲奎が内に持っていた独立の意志を映画で表現した」と評する。
羅は撮影前、会寧での独立運動に参加。その後、満州の独立軍で活動したことで獄中生活を経験した。「彼が映画制作までに歩んだ道のりを
考えると、単に農村の現実を描いただけでなく、抗日精神を投影したと見るのが自然」と李。
最近、韓国で「抗日映画」とみなすことに否定的見解が出ているものの、映画としての歴史的価値を認めない評者はいない。今も人々の心をとらえ、論争すら呼ぶ映画「アリラン」。
しかし、フィルムは朝鮮半島から、こつぜんと消え去った。植民地から解放された直後の朝鮮戦争時の混乱などもあり、アリランはおろか、羅が監督・出演したフィルムは一つも発見されていないという。(松本安二 敬称略)=2010年08月25日

日本が朝鮮半島を植民地にした「日韓併合」(韓国併合)から2010年8月で100年。朝鮮民族を代表する映画であり、民謡である「アリラン」をめぐる日韓の物語を紹介する。
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<5회>
第5回1世の苦難、抵抗の清新 今、旋律に思いさまざま
映画やテレビドラマで冷徹な悪役を演じ、際立った存在感を放つ在日韓国人2世の俳優・歌手白竜(はくりゅう)(57)=本名田貞一(チョン・ジョンイル)=にとって、アリランのイメージは父貞祚(ジョンジョ)に重なる。
 植民地時代、10代半ばで故郷の大邱(テグ)を離れて樺太(現サハリン)に渡り、炭鉱で働いた。そして解放。戦後の混乱期、福岡の闇市での商売で元手をつくり、佐賀で解体業を興した。1998年、72歳で亡くなった父。
 忘れられない光景がある。少年時代、自宅改装のお祝いの席で貞祚が周囲に促され、アリランを披露した。仕事一辺倒の父が歌う姿を目にしたことはなく「アボジ(父)が歌ったことにまず驚き」、もの悲しい歌いぶりが心に残った。
 白竜は79年に「アリランの唄」でレコードデビューした。「おれたちのアリランは 悲しみの鎖を断ち切って 前へ前へと 進む希望のうた」(歌詞より)。民謡の歌詞も織り込み、父ら在日1世の苦難の歴史、それを乗り越えていく前向きな意志の力を刻み付けた。
 それから30年余。「韓流」は完全に日本社会に溶け込み、1世がさまざまな思いを抱えて越えた玄界灘を今、多くの人が気軽に往来する。「信じられないぐらい近くなったよね」。時代の変化を感じながら、原点のデビュー曲を今も大事に歌い続
ける。
日本人の父と韓国人の母を持つ歌手沢知恵(さわ・ともえ)(39)のアリラン観は少し異なる。植民地朝鮮で愛唱歌となったアリランには同名の映画と同様、日本の支配に対する抵抗の精神が秘められている。そんな思いがある。
幼少時にソウルで暮らし、アリランは「生活の一部」だった。ちょっとした集まりがあれば、みんなで即興も交え、シンプルなメロディーに乗せて歌い継いだ。米国で暮らしていた時もコリアタウンでよく耳にした。
それほど身近だった歌も、自分のコンサートで積極的に取り上げたことはあまりない。日本でもよく知られ、歌えばみんなで歌って盛り上がることができる、と分かっているのに「心地よい、ただの楽しい歌として受け取られたくない」という気持ちが
どこかにある。人々のうめき声を宿す、反骨の歌。それが沢にとってのアリランだ。
北朝鮮の人々への思いを歌った「シング・ユア・フリーダム・ソング」(95年)で朝鮮半島の西南端部、珍島(チンド)に伝わるアリランの一節を挿入した。北朝鮮の人々が知らない南のアリランをあえて加えることで「北の人々に自由の歌を歌えと伝えたい」。そんな意図だった。
「あっけらかんとしたアリランじゃなく、歌に込められた精神。私が継承したいのはそっち」。
朝鮮半島はもちろん、日本でも歌い継がれ、語り継がれてきた「アリラン」。これからの100年、日本と朝鮮半島の新しい歴史の中で、今度はどんな物語を紡いでゆくのだろうか。(桜井幸彦、敬称略)=2010年08月29日

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